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アニメ【違国日記】3話の感想と考察:「捨てる」ことで見えてくる、私たちが抱える「現在完了進行形」の愛と執着

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アニメ『違国日記』第3話を視聴しました。

正直に言います。

今回はちょっと、心が追いつかないくらい揺さぶられました。

視聴後、しばらく呆然としてしまって、言葉をまとめるのに時間がかかってしまったほどです。

第3話のサブタイトルは「捨てる」。

一見、淡々とした遺品整理の話に見えますが、その実、これは「捨てられないもの」についての物語であり、私たちが生きていく上で避けられない「他者」という異国との関わり方を、痛いほど鮮烈に描いたエピソードでした。

今回は、私の涙腺を崩壊させたこの神回について、じっくりと語っていきたいと思います。

参考記事▼

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止まった時間と、動き続ける「処理」

物語の前半は、朝の両親、つまり槙生の姉である実里たちの遺品整理から始まります。

まず、この冒頭の描写の解像度の高さに息を呑みました。

アニメオリジナルの演出だと思うのですが、ダイニングテーブルの上に残された、ビニールの留め具(ねじりっこ)で縛られただけの食パンや、皿に乗ったミカン。

それらが醸し出す「ついさっきまでそこに日常があった」という気配が、あまりにも残酷でリアルなんです。

生活感がありありと残っているのに、主だけがいない。

その「唐突な終わり」が、言葉による説明以上に雄弁に、朝が直面した喪失の深さを物語っていました。

槙生と朝がマンションのエレベーターで上がるシーンも印象的です。

ガラスに映っていた二人の姿が、ドアが開いた瞬間にフッと消える。

まるで、ある日突然世界から存在が消えてしまった両親のメタファーのようで、これから始まる「片付け」という行為の重さを予感させます。

ここで槙生が発する「固執」という言葉が、このエピソードの大きな鍵になっています。

姉の学生時代の制服が出てきた時、槙生は「思い出に固執するタイプだったのか」と驚きますよね。

槙生自身は、過去の思い出を容赦なく捨てていくタイプに見えます。

でも、そんな彼女の背後に、度々姉・実里の幻影が現れる。

あれは幽霊というより、槙生自身の記憶やトラウマが見せている幻なのでしょう。

口では「嫌いだった」「合わなかった」と言い捨てながらも、槙生自身もまた、姉という存在に強烈に「固執」している。

人間は、好きだから執着するわけじゃない。

嫌いでも、理解できなくても、自分の中に残り続けてしまう何かがある。

それを「固執」と呼ぶ槙生の言葉選びに、小説家としての鋭い感性と、彼女自身の不器用な誠実さを感じずにはいられませんでした。

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「ふつう」を奪われた15歳の叫び

そして、今回の最大の山場である卒業式。

ここからの展開は、見ていて胸が締め付けられるようでした。

朝にとって学校は、両親を亡くしてすべてが変わってしまった世界の中で、唯一残された「変わらない日常」だったはずなんです。

だからこそ、彼女は「ふつう」に制服を着て、「ふつう」に卒業したかった。

なのに、親友のえみりの悪意のない軽率さによって、その聖域は壊されてしまいます。

ここで私が特に心を抉られたのは、学校の先生たちの対応です。

「みんな心配してるんだから」「悲しいのはわかるけど八つ当たりはダメだ」。

一見、正論のように聞こえるこの言葉たちが、どれほど暴力的か。

彼らは朝を「両親を亡くしたかわいそうな子」という物語の主人公として扱い、彼女の個としての感情を無視して「かわいそうな子らしく振る舞うこと」を強要しているように見えました。

善意という名の無神経さが、いかに人を傷つけるか。

これは現実社会でも往々にして起こることだからこそ、見ていて怒りとやるせなさで震えました。

朝が感情を爆発させてゴミ箱を蹴り飛ばしたシーン。

あれは、彼女が初めて見せた「生身の感情」だったと思います。

ずっと「いい子」で、どこか現実味のないふわふわした態度で悲しみから目を逸らしていた朝が、日常を奪われた瞬間に初めて、喪失の痛みを実感した。

あの叫びは、彼女の心のダムが決壊した音でした。

アニメならではの演出として素晴らしかったのが、職員室でのシーンから切り替わる心象風景です。

周りの人々がどこか異国の民族衣装のような服を着て祝祭を行っている中で、朝だけが制服を着てポツンと立っている。

本来、集団への帰属を示すはずの「制服(ユニフォーム)」が、ここでは逆に「異物」の象徴になっている。

あの一瞬の映像だけで、朝が感じている孤独と、世界から切り離されたような疎外感が痛いほど伝わってきました。

迷子と、不器用な足湯の温もり

学校を飛び出した朝が、帰り道を見失ってしまう展開もアニメオリジナルの改変だそうですが、これも非常に納得感がありました。

前の家はもう空っぽで、新しい槙生の家への道もまだ心に定着していない。

物理的にも精神的にも「帰る場所」を見失っている朝の現状が、都会の迷路のような路線図と重なります。

そんな朝を迎えに来た槙生が取った行動が、また最高なんですよね。

彼女は、安易に「気持ちはわかるよ」なんて言いません。

共感できないことは共感できないとはっきりしている。

その代わり、彼女が差し出したのは「足湯」でした。

「身体が冷えると ろくな考えにならない」(出典:アニメ『違国日記』第3話 / 原作:ヤマシタトモコ)

これは、何度も絶望や自己嫌悪の底を見てきたであろう、ある意味「落ち込みのプロ」である槙生だからこそ出てくる、具体的で実用的な処方箋です。

バケツにお湯を注ぎ、蜂蜜レモンを用意する。

その手つきの丁寧さが、言葉にならない彼女なりの「保護」の形なのだと思います。

槙生は、感情のケアは苦手かもしれないけれど、人間が壊れないようにするためのメンテナンス方法は知っている。

めんどくさいと言いながらも、朝の足元を温めようとするその姿に、彼女なりの精一杯の愛情(あるいは責任感)を感じて、なんだかとても愛おしくなりました。

「現在完了進行形」の関係性

そして、この第3話を「神回」たらしめているのが、槙生による英語の文法の授業、そして友人についての語りです。

亡くなった両親のことは「過去形」になる。

でも、生きている人間との関係や、心に残り続ける思いは「現在完了進行形」なんだと。

「ずっと~している(have been doing)」 この文法解説が、これほど叙情的で哲学的な意味を持つなんて、学生時代の私は思いもしませんでした。

槙生は、自分は朝の全てを受け止めることはできないと知っています。

親の愛の代わりにはなれないし、15歳の感性に完全に寄り添うこともできない。

だからこそ、彼女は朝に「友達」という逃げ場所、あるいは別のよりどころの重要性を説きます。

中学からの友人である醍醐との関係性。

「6年間きみがいなかったら、私は息ができなかった」という手紙のエピソード。

大人になっても、バカな画像を送り合える関係。槙生にも「固執」して、手放さなかったものがあるのです。

「代わりがきかない」存在としての友達。

槙生のこの言葉に背中を押されて、朝はえみりに電話をかけます。

このシーン、えみり役の声優さん(諸星すみれさん)の演技も素晴らしくて、電話越しの泣き声を聞いた瞬間に、私も涙腺が崩壊しました。

朝にとって、親の話ができるのは槙生ではなく、同じ時間を共有してきたえみりなんですよね。

槙生には話せないけれど、えみりになら話せる痛みがある。

槙生が「完璧な保護者」になろうとせず、自分以外の他者との繋がりを朝に促したこと、これこそが本当の意味での「大人」の役割だったのではないでしょうか。

もし第2話で、友人の奈々が槙生に「連絡先を交換しておくように」と言っていなければ、朝は槙生にSOSを出せず、路頭に迷っていたかもしれません。

そう思うと、周りの大人たちや友人たちの小さなファインプレーが積み重なって、朝の生活が支えられていることにも気づかされます。

「めんどくさい」の先にあるもの

最後に触れておきたいのが、槙生が何度も口にする「めんどくさい」という言葉です。

朝の話を聞くのも、慰めるのも、正直言って槙生にとっては「めんどくさい」。

彼女は元来、他者とのコミュニケーションが得意ではないし、一人の時間を愛する人間です。

でも、彼女はその「めんどくさい」を放棄しませんでした。

「めんどくさい」と思いながらも、足湯を用意し、話を聞き、不器用ながらも向き合い続ける。

Bパートの最後、朝とえみりの仲直りの電話を背中で聞きながら、槙生が

「これも固執というのだろうか…めんどくさ…」(出典:アニメ『違国日記』第3話 / 原作:ヤマシタトモコ)

と呟くシーン。

あそこにこの作品の真理が詰まっている気がします。

他人と関わることは、どうしたって面倒くさい。

傷つくし、誤解されるし、エネルギーを使う。

それでも私たちは、その「めんどくさい」他者に固執せずには生きていけない。

「違国日記」というタイトルが示す通り、自分以外の人間は理解不能な「異国」の住人です。

言葉は完全には通じないし、文化も違う。

わかり合えないことの方が多い。

けれど、わかり合えないまま、隣にいることはできる。

理解できなくても、足湯を用意してあげることはできる。

槙生と朝、全く違う二人が、それぞれの「異国」を抱えたまま、少しずつ交わっていく様子は、見ていてとても心地よく、そして何故か救われたような気持ちになります。

総括:私たちに必要な物語

第3話「捨てる」は、物理的に遺品を捨てながらも、どうしても捨てられない「思い」や「関係性」を浮き彫りにする回でした。

朝が最後に言った「靴下履いてるみたい」というセリフ。

足湯で温まって赤くなった自分の足を見ての天然発言ですが、あれは彼女の心が解凍され、感覚を取り戻したことの証左でもあります。

日常を破壊され、凍りついていた朝の心が、槙生の不器用な温かさと、えみりとの変わらない友情によって、再び脈打ち始めた。

その過程をこれほど丁寧に、繊細に描いてくれた制作陣に、心からの拍手を送りたいです。

正直、私も30代を超えて、槙生の言葉が身に沁みる年齢になりました。

若い頃はわからなかった「友達の大切さ」や「思い出の重さ」、そして「他者と生きる煩わしさと愛しさ」が、このアニメを見ていると痛いほど響いてきます。

派手なアクションも魔法もないけれど、ここには間違いなく、私たちの人生そのものが描かれています。

今期、数あるアニメの中でも、個人的にはトップクラスに「刺さる」作品です。

次回以降、槙生の過去や、朝の高校生活がどう描かれていくのか。

二人の「共同生活」という名の異文化交流がどう変化していくのか。

ハンカチ、いやバスタオルを用意して見守っていきたいと思います。

次回の記事▼

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